CIBBR(就寝前脳内会議)
Conference in brain before retiring
就寝前脳内会議というやつだそうです。詳しくは命的さんの日記を見ると幸せになれます。

そうですね、千葉とでも呼びましょうか。名物はピーナッツ。
ああ、芝かな。

で、この脳内会議なのですけれどね。まず、これを意図的に起こすことができればそれこそ日記のネタに困らないのです。
素面でこの手法によって書かれた文章を読むのは、理解するのが困難だと思いますけれどね。

命的さんはメモを取っているそうですけれど、私はメモを取っている間に寝るでしょうね。間違いなく。

で。
>>寝る前は普段意識覚醒時には抑制されてる読み込み不可部分がオープンになってるんじゃ、
と書いてありましたけれど、これはつまりこういうことですかね?
理性がない
と言うことでしょうかね。
言語能力が落ちない酔っぱらい状態ですね。

私が、世の中で一番美しいと思う物は理性と秩序なのですよ。
これ本当。
だからといって自分がその美しい物を守れるかというのはまた別の問題ですからね。

それでも私は、冷静なときは常に理性と規律を守るように慮っている物ですよ。
そう。冷静なときがないと言うことはこの際重要ではないのです。

それでね。命的さん。
>>自分はほぼ毎日これを布団に入るとやっておりますがこれを使って素敵な執筆家生活を送ってると間違いなく変人、変態、狂人と呼ばれそうです。

やっていなくても呼ばれているのならばこの際、これを行い狂人変人を越えてみてはどうでしょう?

閑話休題

しようとしたら話のネタが無くなりました。
矢張りここは前のネタを引っ張るしかないのでしょうね。
もし私に、素敵なポエムが書けたのならばこんな事を考えなくても良かったのでしょうけれど、如何せん私は一般ピーポーですからね、常に面白いことを書いていくことは出来ないのですよ。

それでもだ。

わが友よ。我々は今日も明日も困難に直面しているが,それでも私には夢があるといいたい。
何時の日にか、ブログの上で、かつてこの日記に面白みを感じた人達と、かつてこの日記を面白いとは思わなかった人達が、同心として同じ日記を見て面白いと思ってくれるという夢を。
いつの日にか、私の書いた四つの日記が著者の名前ではなく、内容そのものによって評価されるときが来るという夢を。
私のネタが死んだここで、他の人の面白い日記が存在するここで、全ての日記が素晴らしいと言おうじゃないか。
もし日記が偉大な物であるならば、これは実現されなければならない。
あの日記を見て、心を動かそうではないか。
その日記を見て、共感を得ようではないか。
この日記を見て、感涙をしようではないか。
全ての日記を見て、感動しようではないか。
それらばかりではない。ちょっとした言葉一つ、僅かな心情の現れ一つ、そしてその日記のタイトルから心を潤そうではないか。
そして、私たちが日記を見る時、私たちが昨日見た日記、今日見る日記、明日見るであろう日記、存在する全ての日記を見るその時、全ての文章、散文も箇条文も、短歌も俳句も、月記も年記も、皆互いに高めあって古くから続く日記を読む日が来るだろう。
 「脳内会議だ,ついに脳内会議だ,全能の神よ,感謝します。ついに我々は脳内会議を行えるようになったのだ」と。

こういう理想を持った日記を我々は書くべきなのでしょう?
各々の信念を越えて、これが在るべき日記の姿なのです。
何を語ろうかというと、つまりは。
全ての文章は人の心を動かせる素晴らしい力を持っている、と言うことです。
そして、心を動かす方向は常に規律と秩序が保たれていなければならないのでしょう。
もし自分から理性が失われても、心は常に規律と秩序を保った姿で在らねばならないと言うことです。
だとしたら私の書く取るに足らない物は文章にもなっていないと言うことなのでしょうけれど。

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